斯波源之助の怪奇録

斯波源之助の怪奇録『これが私の初恋です』

斯波源之助の怪奇録『これが私の初恋です』-アイキャッチ

古の時代から男が女によって運命を狂わされるという事はしょっちゅうあった。応仁の乱や戦国時代、関ヶ原合戦などの覇権争いは男性の権力争いなどではなく、実は「女性に心を操られた結果」だ。

先に種を明かしてしまうのだが、それらの多くは狐の妖怪の仕業だった。もちろん人間の女性も十分に男を魅了することが出来たが、狐はさらに男の深いところにまでもぐりこむことが出来たため、人間の女より男を操作出来た。操作された男はすぐに死ぬ場合もあるし、女を取り合うために戦を始めるという事もあった。男は狐の美貌と魅力に骨抜きにされ何も手がつかなくなるように仕向けてしまうのだ。

そして狐の中でも最上級に美しいとされているのが玉藻前(たまものまえ)だった。

玉藻前はもちろん、そのほかの狐たちは何も大それたことをさせるために男の前に現れるわけではない。単なるいたずらというケースもあるし、大戦につながるケースもある。いずれにせよ狐のせいで男が掻き乱されるという事だけは言える。

あるキツネは計ったように曲がり角で男性とぶつかり親密になる。またあるキツネは保険のセールスに化けて男に接近する。そんな感じで男性に接触し、自分のこと以外には目もくれないくらい魅惑する。

 

玉藻前について箇条書きで簡単に紹介しよう。
・玉藻前は人間に化けて男を魅惑する狐の妖怪で平安時代からいる
・昔、「夫をたぶらかしやがって」と言われ人間の女に首を切られた
・死んだのだが成仏することが出来ず、人間を困らせるために美女に化けている
・狐の悪さは全て玉藻前の指示である
・油揚げが好き
・狸と仲が悪い
・心から好きな者が現れたら成仏できると言われているが定かではない

 

road

狐の女王と言っても過言でもない玉藻前は夢の中で男と遭遇することが出来る。夢で骨抜きにされたら永久に起きることはできない。

そんな彼女は気まぐれで斯波源之助(しばげんのすけ)の夢に入り込んだ。

玉藻前
玉藻前
あの、私は玉藻と申します。道に迷ってしまって…。もしよろしかったら一晩泊めてもらえませんか

部屋でくつろいでいた源之助の前に現れたのはこれまで見たことのないほどの美女だった。こんな美女と一夜を供にしたら他のことが手につかなくなり四六時中この子のことを考えてしまうのではないかと思うほどだ。

斯波源之助
斯波源之助
(いやいや、契りを交わしてない男女がそんなことしたら…だめです。でもだからと言って帰すのも可愛そうですし。でも…でも…)
玉藻前
玉藻前
あの、お名前を頂戴してもよろしいでしょうか
斯波源之助
斯波源之助
げ、げんのすけです…
玉藻前
玉藻前
げげんのすけ様ですね
斯波源之助
斯波源之助
げんのすけ助ですっ!

源之助は心の奥底で「泊めちゃだめだ」と自戒した。しかし口から出た言葉は「どうぞどうぞ」だった。

 

家の中に促された玉藻は丁寧に履物を揃え軽く会釈をし「失礼いたします」と言い礼儀正しく、そして申し訳なさそうに敷居をまたいだ。

しかし内心では「こいつをどうしてくれようか」と思っていた。今まで出会ってきた男同様、いや、それ以上にこの男は堕としやすいのではないかという印象を持った。そして「この部屋はこじんまりとしているが清潔感があり居心地がよさそう」と感じたため、玉藻は部屋を乗っ取る算段を立てた。

この男は女にあまり免疫がなく、耳に息を吹きかけでもしたら自分の操り人形のようになるだろうと思った。それだけで一生眠りから覚めないのだろうとほくそ笑んだ。

玉藻は試しに着ていた襦袢(じゅばん)を少しはだけて見せた。それを見た源之助はオロオロして目のやり場に困った。

斯波源之助
斯波源之助
い、いい天気ですね
斯波源之助
斯波源之助
玉藻さんは…普段何をなされているんですか?

その場を繕うためだけのセリフしか出てこなかった。それに対し玉藻は「いつでも堕とせる」と確信した。

 

しばらく無機質な会話が続いた。「そろそろ本格的に仕掛けるか」そう思った矢先、玉藻のお腹がぐぅぅぅとなった。

空腹を覚えていたわけではないのだが玉藻のお腹が鳴った。

斯波源之助
斯波源之助
お腹すいてますか? すぐに何か作りますっっ

源之助はすぐにご飯の準備にとりかかった。手際が良かった。何を作っているかは分からないが、てきぱき動いている様に見えた。その間、玉藻は源之助の行動を注視した。今までのおどおどした行動や言動は微塵もなく、ただただ俊敏な好青年に見えた。しばらくすると食欲をそそる香りが部屋中に広がった。

斯波源之助
斯波源之助
お待たせしましたっっ

源之助はキツネうどんを差し出した。

玉藻は目を輝かせ「いただきます」を言う事すら忘れ一心不乱でうどんをすすった。「おいしい」「あったかい」とも言うことなくうどんを食べ尽くし、出汁を飲み尽くした。最後におあげを口にした。

斯波源之助
斯波源之助
狐さんは全員好きな物を最後に残すんですか?
玉藻前
玉藻前
そうですね。大体の狐がそうしますね

言ってハッとした。

玉藻前
玉藻前
(えっ狐ってばれてる? まずいまずいまずい)

動揺しすぎたため、玉藻の頭からは耳が生え、お尻からは尻尾が生えた。嘘か誠かは分からないが、人間の間では狐は高く売れるという噂が「業界内」では有名だ。玉藻の身体から脂汗が湧き出た。

斯波源之助
斯波源之助
そうなんですねっっ! じゃあ片付けておきますねっ

源之助は玉藻が気まずいと思っている事を悟り、空になった器を手に洗い始めた。玉藻はどのタイミングで逃げようか迷った。源之助はトロそうなため簡単に逃げれるような気もしたし、実は切れ者で何でも見透かしているような気もした。

恐ろしいほど源之助の片付けの手際は悪かった。今逃げよう、今逃げようと何度も思ったほどだ。しかし行動に移そうとすると玉藻の足はすくんだ。はっきり言って源之助の夢から出ればそれで終わりである。しかしパニックに陥っていたため思考回路にエラーが生じてしまっていた。

 

源之助は片づけを終え、距離を置いて座った。

沈黙の時間が続いた。

玉藻は狐とばれた恐怖心から口を開くことが出来なかったし、源之助は狐と分かってはいても美女をまともに見ることが出来ずにいた。

 

やがて源之助のお腹がぐぅぅぅぅと鳴った。

玉藻前
玉藻前
何か…食べないのですか?

人間が狐を食べることはないと頭では理解していたが実際の所、玉藻は確証が持てずにいた。このまま自分は食べられてしまうのではないかという恐怖が頭から離れなかった。自分の姿が狐という事を知られただけで自信を持つことも、魅力を発揮することもできない。こうも弱くなってしまうものかと嘆いた。

斯波源之助
斯波源之助
僕はボクサーなので今日は食べないんですっ。それにもう寝るから大丈夫ですっ

源之助がボクサーでないことは明らかだった。狐は騙す「攻撃力」も高いが騙されない「守備力」も高い。つまり何が言いたいかと言うと、玉藻には「1杯分しかないうどんを自分にくれた」という事がバレバレだったという事だ。

玉藻はその後ずっと頭が真っ白でどう時間を潰したか全く覚えていない。

 

斯波源之助
斯波源之助
じゃあ、そこの布団使ってください。電気、消しますねっ

驚くほどあっけなく眠りにつこうとする源之助を見て玉藻は逃げるチャンスだと思った。しかし気が進まなかった。自分を狐と知りつつも優しくしてくれた。1杯だけしかない「なけなしのうどん」を恵んでくれた。布団だってそうだ。色々な思いが込み上げてきた。

警戒心が解けたというのもあるが、「暗いと人間は何も見えなくなる」という話を聞いていたため玉藻は狐の姿になった。

玉藻前
玉藻前
あの、1つよろしいですか?
斯波源之助
斯波源之助
えっ、は、はい。あっ、その姿も素敵ですねっ

人の姿の表情が刷り込まれているからなのか、心底狐の姿がきれいだと思ったからなのか、もしくはカーテンの隙間から届く月明りがおぼろげだからかは分からないが源之助はそう言った。

玉藻前
玉藻前
えっ見えているのですか?
斯波源之助
斯波源之助
はい

妙に恥ずかしかったが今更人間の姿に戻るのも億劫だった。

玉藻前
玉藻前
源之助様はなんでこんなに優しいのですか?
斯波源之助
斯波源之助
優しいですか? だとしたら、玉藻さんがすごく魅力的だったので…。できる事はしたいと思った結果ですっ
玉藻前
玉藻前
狐って知っていてもですか?
斯波源之助
斯波源之助
男でも女でも、狐でも狸でも、魅力的な者は素敵ですっ

狸はライバルだから少し気を悪くしたがすぐに流した。これまで美しい、美しいと言われたことがあるがそれはあくまで化けた顔がそう言われているだけである。狐と知られてもそういってもらえたのは生まれて初めてだった。

玉藻前
玉藻前
源之助様。ありがとうございます

嬉しくて涙が出た。

斯波源之助
斯波源之助
実は僕も狐なんですよ
玉藻前
玉藻前
嘘、下手すぎですよ…

やがて玉藻は自分の身体が透き通っていくのが分かった。最初、術か何かで源之助が覚めることのない夢から覚めたのかとも思った。しかしそうではなかった。好きな者が出来た時、成仏できるという伝説は本当だったのだと分かった。

薄れゆく中で玉藻は慌てて源之助にキスをした。

 

kiss

けたたましいカラスの鳴き声で僕は目覚めた。猫と喧嘩でもしているのだろうか。

いい夢を見ていた気もするし、何か寂しい思いをしたような気もする。口に何かいつもと違う感触があるのだが何も覚えていない。

しばらくぼーっとしていたがごみを出さなければいけないことに気づいた。カラスの鳴き声がなかったら出しそびれるところだった。僕は慌ててごみを捨てに行った。