マスター・ソウの見聞録

マスター・ソウの見聞録『リナリアに騙されて』

マスター・ソウの見聞録『リナリアに騙されて』-アイキャッチ

ソウが経営している喫茶店「ヴィラ」は神原駅から数分歩いた非常に入り組んだ住宅地に店を構えている。海上コンテナを改良した簡易的なカフェで、極上のコーヒーを提供する。

しかしあまりにも細い路地を何回も通らされるためよほど地図を見るのが巧い者か、迷ってもどんどん突き進むことが出来る好奇心旺盛な者しかたどり着くことが出来ない。

しかも店は中二階で錆びた鉄製の階段を上らなければいけず、さらには初見でそれがカフェだと気づくものはまずいないので新規で来る客は極めて少ない。

とにかくマスターのソウはそんな場所で日夜コーヒーを作り客に振舞っている。ただ、他のカフェと違う所は心理学に精通していて、常連客の恋の悩みを解決する点である。

 

階段を登り始めたのになかなか上がってくる音がしてこない。

こういう場合考えられることは2つある。1つはヴィラに来たことがない人が間違えて階段を登ろうとしたものの、間違いに気づき静かに戻っていったパターン。もう1つは綾香が何を考えているか悟らせないようにわざと時間をかけてゆっくり上がるパターン。どちらも考えられるが、綾香が来るだろうと思い、オーナーのソウはおすすめメニューを何にするか考えていた。

 

カランコロンと鋳鉄製の鈴の音が響く。

「明太バタートーストでいい?」と聞こうとしたがすんでのところで留まった。綾香ではなかったのだ。

理瀬
理瀬
どうしたの?罰の悪そうな顔して

入ってきたのは理瀬だった。

ソウ
ソウ
お?いや、別に。理瀬と会うの久しぶりだと思って
理瀬
理瀬
確かに久しぶりね。近く通ったから寄ってみちゃった。潰れてるんじゃないかと思ってさ
ソウ
ソウ
毎日繁盛で大忙しや
理瀬
理瀬
ふーん

誰もいないカウンターテーブルを見て3席しかない真ん中の席に座る理瀬。

理瀬
理瀬
ねぇ、マスター。私の何がダメなのかな?

今にも泣きそうという訳ではないがいつもの覇気がない。

ソウ
ソウ
なんや、いきなりやな
理瀬
理瀬
振られちゃった。っていっても2ヶ月前のことなんだけどさ
ソウ
ソウ
2ヶ月経とうが3ヶ月経とうが悲しいことには変わりないやろ
理瀬
理瀬
そうなの。あんなに素敵な男性は他にいないと思った。イケメンだしお金持ちだし、友達からも絶対結婚しなさいよって言われてた
ソウ
ソウ
原因は?
理瀬
理瀬
特に何も言われなかった。ただ、別れよって言われて
ソウ
ソウ
そりゃ納得できひんな
理瀬
理瀬
できるわけがない。なんの落ち度もないとは言わないけどさ。ダメなところがあれば言ってくれればいいじゃん。なんのチャンスもなしに、はいバイバイってきつすぎでしょ!

理瀬の口調からまだ未練があることは十分すぎるほどソウに伝わった。

ひとしきり喋って疲れたのか会話が途切れた。

ここぞとばかりにコーヒーを渡すソウ。コーヒーにはリナリアのラテアートが描かれている。

ラテアート
理瀬
理瀬
ありがと。毎度思うけどほんと芸術よね
ソウ
ソウ
まあそれで食ってるからな

しばらくラテアートを覗き込む理瀬。

理瀬
理瀬
ねぇ、私の何がダメだったのかな
ソウ
ソウ
理瀬がダメだったのか、他にいい人ができたのか、恋愛をするどころじゃなくなったのか。それとも他に理由があったのか
理瀬
理瀬
今まであった中で1番素敵な人だった。私もう好きな人できないかも
ソウ
ソウ
失恋直後のそう言う男女何度も見たことあるわ
理瀬
理瀬
私のは本気です〜。あんな素敵な人見たことないもん

ソウは「なんで別れたか」ということよりも理瀬を立ち直させる事を優先する事にした。そしてその手っ取り早い方法が「新しい彼氏を作る」だ。

ソウ
ソウ
じゃあ今から俺が理瀬の固定概念をぶち壊したる
理瀬
理瀬
固定概念?
ソウ
ソウ
理瀬の元彼よりいい男はいない説
理瀬
理瀬
あぁ。それなら無理だって。実際いないもん

無理と言われて心理学修士ソウの魂に火がついた。

ソウ
ソウ
理瀬は今まで大体何人位の男性と知り合った?
理瀬
理瀬
どれくらいだろ。ざっと400人位かな
ソウ
ソウ
理瀬の男性のストライクゾーンって何歳から何歳?
理瀬
理瀬
25歳から35歳くらいかなぁ
ソウ
ソウ
大体650万人いる
理瀬
理瀬
よくそんなの一瞬で言い切れたわね
ソウ
ソウ
今まで理瀬が会った男性のグループを仮にグループ1とするやろ
理瀬
理瀬
は?
ソウ
ソウ
理瀬が会ったことのある男性400人、グループ1で元彼が頂点に立ったわけだ
理瀬
理瀬
あぁ。まあそうなるわね
ソウ
ソウ
で、まだ会ったことのないストライクゾーンの男性が650万人。400人のグループがざっと16,250組できる
理瀬
理瀬
はい

まだよくわからないといった表情ながらも真剣にきく理瀬。

ソウ
ソウ
その16,250組のグループごとで、いい男No.1達を集めるとするやろ。そうしたら16,250人のいい男が集まる。その中に元彼を組み込んだら1位になると思う?
理瀬
理瀬
は?無理に決まってるでしょ
ソウ
ソウ
そう。普通に考えたら無理、仮にその真ん中にいたとしたら8,125位。つまり、理瀬の元彼が今まで会った400人の中で一等賞を取っていたとしても、期待値的には8,125人は元彼より上にいる可能性がある
理瀬
理瀬
なるほど
ソウ
ソウ
つまり理瀬がいい男と付き合いたいと思うのであれば漠然と「1番いい男を探す!」じゃなくて「いい男を8,125人を探す!」って考えにすればいい。結構楽じゃね?
理瀬
理瀬
お、おぅ

タイプとか相性とか度外視でソウの口車にまんまと乗ってしまった理瀬はリナリアのラテアートを跡形もなく飲み干した。

そしてなんの真似かは分からないが「世話になったぜ」とだけ言って店を後にした。

「客が立ち直るならはったりなんていくらでもいくらでも言ってやるよ」とソウは笑いながら呟いた。

リナリア