マスター・ソウの見聞録

マスター・ソウの見聞録『ギンヨウアカシアはほくそ笑む』

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ソウが経営している喫茶店「ヴィラ」は神原駅から数分歩いた非常に入り組んだ住宅地に店を構えている。海上コンテナを改良した簡易的なカフェで、極上のコーヒーを提供する。しかしあまりにも細い路地を何回も通らされるためよほど地図を見るのが巧い者か、迷ってもどんどん突き進むことが出来る好奇心旺盛な者しかたどり着くことが出来ない。

しかも店は中二階で錆びた鉄製の階段を上らなければいけず、さらには初見でそれがカフェだと気づくものはまずいないので新規で来る客は極めて少ない。

そしてマスターのソウは心理学に精通していて、常連客の恋の悩みを解決する。

長年カフェで働いていると、客が入ってくる前に階段を上る足音だけでその客がどういう心境なのかを当てることが出来る。答え合わせをするわけではないため、思っていた心境とは違うのかもしれないが、答え合わせをしないからこそ自分の考えは100%正しいと思うことが出来た。

階段を上る足音は別段思い詰めた感じではないのだが何かを決めかねているという歯切れの悪さを主張していた。きっと2人の男からデートを誘われた綾香がどっちの男と遊ぶのか迷っているのだろう。なんの説明もなく、「やっぱりサッカー観戦しようって言ってきた人とデートする」と言って来るのだ。別にそこに興味はないが、もう1人の方のデートプランがなんだったという方が気になった。ソウは勝手にそんな想像を膨らませた。階段の音だけでそこまでの先が読めた。

 

カランコロンと鋳鉄製の鈴が客の来店を知らせる。

勢いよく開けたため大きい音が鳴ったのだが、その反面開き方が大きくなかったので音はすぐに鳴り止んだ。それがいかにも「心の迷い」を表している様にしか思えなかった。「相談が長引かなければいいが…」と思いながらもドアの方を見るソウ。そこにいたのは綾香ではなく、理香だったため、ソウは思わず「んっ」と言ってしまった。

理香
理香
は?んってなん?想像していた子じゃなくてすいませんねぇ
ソウ
ソウ
ちゃうて。理香にしては来る時間が早いなって思ったんよ

ソウの切り返しに妙に納得させられた理香。

理香
理香
言われてみればそうやんなぁ。この時間に来ることないなぁ

うまく誤魔化せたと思い、ソウは一安心した。

理香
理香
ねぇ、マスターってさぁ。浮気したことある?
ソウ
ソウ
は?なんかいきなりぶっ込んでくるやん
理香
理香
いやぁどうなんかなぁって思って
ソウ
ソウ
なんや、理香浮気しようとしとんのか
理香
理香
は?違うて。しかもこの場合普通、「浮気されとんのか」って聞くやろ
ソウ
ソウ
いや、普通はな。ただ今回は違うやろ?
理香
理香
まあ…私の方なんやけどな

なんで分かったんだ?という想いと、あっさり当てられて気まずいという想いが交差した。

ソウは黙っている理香にコーヒーを差し出した。そこにはギンヨウアカシアのラテアート。

ラテアート
理香
理香
いや、彼とうまくいっていなくね。その状況で男の人とご飯行ったんよ。別に好きっていう感情が芽生えた訳でもないけどなんとなく向こうが追って来てる感じがしてな
ソウ
ソウ
まあ自分がそこまで好意を寄せてなくても相手が追ってくるっていうのは気分ええな
理香
理香
そうなんよ。めっちゃタイプって訳やないし、「こいつ大丈夫か?」って思う事が多々あったんやけどなんかかわいい面もあってさ
ソウ
ソウ
理香、ちょろいな
理香
理香
は?ひど!
ソウ
ソウ
でもええやん。その男が理香のどこかを好きになったって事やろ?
理香
理香
好きってところまでいったかどうかは分からん。しかもうち彼氏おるで
ソウ
ソウ
彼氏がいるってことと、その人に興味を持たないってことは切り離していいんやない?

ソウの話を聞いているのかいないのか。理香はぼーっとギンヨウアカシアのラテアートを眺めていた。

理香
理香
でも彼に悪いやろ
ソウ
ソウ
まあそういう考えもあるけど「彼に悪い」っていう理由で理香の人生の選択肢を狭める必要はないんやないかと俺は思うけどな
理香
理香
ん?どういうこと?
ソウ
ソウ
「彼がいるから他の男と仲良くしたくない」っていうのは理香の意思やん。
ソウ
ソウ
「彼がよく思わないだろうから他の男と仲良くしたくない」っていうのは理香が想像する彼の感情やん。
ソウ
ソウ
理香の意思で決めるべきやろ。もちろんそれに対して誰かに意見を求めるってのはありやけどな
理香
理香
半分くらい理解したわ
ソウ
ソウ
お、おう…。まぁ半分理解してもらえたならええわ
理香
理香
で、マスターはどうしたらいいとかっていう悪知恵ある?
ソウ
ソウ
何勝手に悪知恵って決めつけてんねん
理香
理香
いや、悪知恵の他に言い方あるん?

ここはあまり掘り下げる所でもないと思ったソウは観念して意見を言うことにした。

ソウ
ソウ
てか相手は理香のこと好きって言ってきたん?
理香
理香
告られてはないけど…。あんま自惚れた事言いたくないんやけど、多分好かれとる
ソウ
ソウ
理香はどうなん?その男のこと嫌いやないんやろ
理香
理香
うん。彼氏と比べると劣るけど一緒にいてまあまあ楽しかったからなぁ
ソウ
ソウ
ならキープでええやん。付かず離れず。連絡しているうちにいい人って思えるかもしれんし、そうじゃなかったら友達で終わればええやん。向こうがどう思うかは分からんが自分に好意を抱いてくれている人に対してすぐにバイバイってなる必要もないやん。少なくとも一緒にいて面白いって思えるのであればなおさら
理香
理香
なるほどなぁ。魔性の女やな
ソウ
ソウ
キープっていうと聞こえが悪く聞こえるかも知らんけど、自分のことを「最推し」してくれている人がおるって考えでええんやない?
理香
理香
おぉ、それならあんま悪くは聞こえんな

理香はギンヨウアカシアのラテアートを均等になるようにかき混ぜた。

理香
理香
なんか話してたらちょっとスッキリしたわ

理香はそう言って帰り支度をした。

ソウ
ソウ
あ、そうそう。自分に好意を寄せてくれている誰かがいるって思えるだけで自分に自信持てるで。そういう自信って色んなところで生きて来るもんや
理香
理香
まるで自分が誰かから想われてるみたいな言い方やん
ソウ
ソウ
幼少期からそんなんばっかや
理香
理香
はいはい。ま、参考にさせてもらいますぅ

あまり歯切れがよくない口調とは裏腹に理香の足音からは迷いが消え、自信が加えられていた。

ギンヨウアカシア