マスター・ソウの見聞録

マスター・ソウの見聞録『ダチュラと暇乞い』

マスター・ソウの見聞録『ダチュラと暇乞い』-アイキャッチ

ソウが経営している喫茶店「ヴィラ」は神原駅から数分歩いた非常に入り組んだ住宅地に店を構えている。海上コンテナを改良した簡易的なカフェで、極上のコーヒーを提供する。

しかしあまりにも細い路地を何回も通らされるためよほど地図を見るのが巧い者か、迷ってもどんどん突き進むことが出来る好奇心旺盛な者しかたどり着くことが出来ない。

しかも店は中二階で錆びた鉄製の階段を上らなければいけず、さらには初見でそれがカフェだと気づくものはまずいないので新規で来る客は極めて少ない。

そしてマスターのソウは心理学に精通していて、常連客の恋の悩みを解決する。

 

足取りが重い。人生の岐路に立たされている。

長年カフェで働いていると、客が入ってくる前に階段を上る足音だけでその客がどういう心境なのかを当てることが出来る。答え合わせをするわけではないため、思っていた心境とは違うのかもしれないが、答え合わせをしないからこそ自分の考えは100%正しいと思うことが出来た。

とにかくソウは足音で常連の彩香が神妙な面持ちで店のドアを開けるという未来を予想した。

 

カランコロンと言う音とともにドアが静かに開いた。ソウは彩香が来ると分かっていたのですぐには視線を動かさなかった。カップの水滴を拭きゆっくりドアの方に目をやるとそこにいたのは彩香ではなく初美だった。

予想が外れたソウは思わず「えっ?」と言ってしまう。

初美
初美
何よ。え? って
ソウ
ソウ
あ、いや、前回と違う髪形かなと思って
初美
初美
よく分かったわね。少しすいた程度なのに
ソウ
ソウ

ヴィラはこじんまりとした店でカウンターの3席しかない。「いつもの」とため息交じりに座りながらオーダーする初美。

初美
初美
ねぇ、マスター。例えばさ。プロポーズした彼女がとんでもない隠し事持ってたらどうする?
ソウ
ソウ
例えばどんな?
初美
初美
そうだなぁ。看護師って言ってるけど実は風俗嬢だったとか
ソウ
ソウ
おぉ。思ってたのと140度くらい違う感じでビビったわ
初美
初美
まあもちろんそんなんじゃないけど。仮にマスターだったらどうする?
ソウ
ソウ
婚約者が風俗嬢だったとしたら?
初美
初美
そうそう
ソウ
ソウ
俺は気にせんかな。職業が変わったからって中身が変わるわけやないからな

そう言ってコーヒーを差し出す。コーヒーには花のアートが描かれている。

ラテアート
初美
初美
何? この花
ソウ
ソウ
ダチュラ
初美
初美
どういう花?
ソウ
ソウ
有毒で大量に摂取すると死に至る
初美
初美
ひど
ソウ
ソウ
綺麗な花には毒があるって言うやろ
初美
初美
とげね

ダチュラのカフェアートをしばらく眺めていた初美が口を開いた。

初美
初美
仮にな。仮に、彼女が整形したことがあるって言ったら?
ソウ
ソウ
整形くらいで結婚しようっていうのは変わらんやろ
初美
初美
本当に?
ソウ
ソウ
整形で結婚を取りやめようとする男なんてそうおらんと思うで

初美の表情は明るくなった。そしてそれは初美自身が整形をしていたことを示唆していた。

ソウ
ソウ
でもな。言わんほうがええで
初美
初美
え?
ソウ
ソウ
男っていうのは勝手な生き物やからな。言われた時は「俺はそんなの気にしない」って言うんや。だけどな、それを忘れるわけやないねん。喧嘩した時とか、相手に腹立てた時につい思い出してしまう。お前は整形してるんだろ!って

初美は何も言えなくなった。

ソウ
ソウ
だけどな。整形と不仲には因果関係がない。男が勝手に切り札として持つだけなんよ。やから言っても意味がない
初美
初美
でも、後でそれを知ったらショックじゃない?
ソウ
ソウ
いや、別に。例えば初美は相手が「昔歯の矯正してたんだよね」って言ったらどう思う?
初美
初美
いや、何とも…別に申告しないでいいしって思う
ソウ
ソウ
それと同じや。歯の矯正の申告はいらないのに顔の整形は申告は必要。そんな話はおかしいやろ
初美
初美
そか
ソウ
ソウ
これは俺の自論やけど…整形したことを言わないことに対して罪悪感を持っている人って結構多いけど、別にそれを聞いたところでその人を軽蔑したり「じゃあ別れよう」なんて言う人はほとんどおらん。
ソウ
ソウ
もしいたとしたら、元から関係がよくなくてそれが後押しになるってパターン。だからはっきり言って整形した人が思ってるより「私整形しました」って話は影響力がない
初美
初美
そう…なんだ

ソウの力説にもしっくりこない表情の初美。

ソウ
ソウ
でも、彼氏うらやましいな
初美
初美
え?
ソウ
ソウ
整形って言ってみりゃ努力やろ。葛藤して努力してどこまでかは知らんけどある程度自分の納得した顔を手に入れて。それで行きついた先が彼氏ってことやろ。俺なら嬉しいけどな

初美は一瞬目を見開いて静かに笑った。

初美
初美
ありがと。少し元気でた

そう言って初美は冷めたコーヒーに飲んだ。

口の中で甘いダチュラが消えていった。

ダチェラ